※今回の記事は回顧録エッセイとなるので、だいぶ長めです。ご承知宜しくお願いします。
2026年6月25日、下北沢Flowers Loftで行われた「いとうせいこう is the poet 〜LIVE POETRY JAM〜」のオープンマイク枠に参加し、更にイベント終了後にはいとうせいこう氏と記念のツーショットまで撮らせて頂きました。撮影が叶った瞬間、私のこれまでの活動が報われたような気がして、帰宅後も暫く余韻に浸っておりました。めげずに創作活動を続けてきて良かったと心から思えた瞬間でした。
今回はそんな尊敬するいとうせいこう氏と直接出会い、対話が叶うまでの旅路を克明に記していきます。半分自己満足みたいな文章なので、皆様心してお読み下さい。
いとうせいこう氏との出会い
いとうせいこう氏(以下:せいこう氏)との最初の出会いは小学生時代にNHK教育テレビで放送されていた「天才ビットくん(後に「ビットワールド」と改題し、2026年3月27日を以て放送終了)」だったと記憶しています。この時に私がせいこう氏へ抱いていた印象は「かなり物知りそうだけど、ちょっとお惚けた人」という可もなく不可も無いものであり、そこまで深く関心を抱いていませんでした。
その後、中学、高校と進学し、部活動などが忙しくなってNHK教育テレビを見る暇もなくなってしまいました。代わりに下校後や土日休みによくレンタルショップ「TSUTAYA」へ毎日と言って良いほど入り浸るようになり、CDやDVDを只管漁る日々を送っていました。当時の私はコミュ障に輪をかけたコミュ障であり、友達も殆どおらず、心の拠り所が音楽かお笑いなどのエンタメしか無い有様だったのです。そのような状況だった当時の私にとってTSUTAYAはまさしく「救世主」であり、サブスクリプションなどという気の利いたサービスがまだ普及されていなかった頃の平成後期において「CDアルバムを5枚1,000円で借りれる」というシステムは非常に有難い存在でしかなかったのです。
特に高校時代の私は実兄の影響もあって「日本語ラップ」の沼にもどっぷりハマっていきました。最初の入口はKICK THE CAN CREW、RIP SLYMEなどの所謂「メジャー」所な方々をよく聴いていたのですが、「ヒップホップ」というジャンルに大変心打たれた私はその後も掘り下げる事を止めず、気がつけばキングギドラやSOUL SCREAM、RHYMESTER、MICROPHONE PAGER、SHAKKAZOMBIEなどメジャー・アンダーグラウンド問わず幅広く聴くほどのマニアと化していました。当時は160GBのiPod Classicを肌身離さず持ち歩いており、TSUTAYAから借りてきたアルバムを自宅PC内のiTunesへと取り込み、それをiPodへ同期するという地道な作業が日課となっていました(サブスクのサービスが当たり前となった今では考えられない、しちめんどくさいやり方ですが、当時はこの方法が主流だったのです)。登校時や下校時は常にこのiPodを聴きながら物思いに耽っておりました。
やがて高校3年生となり部活動も引退して受験も落ち着いてきた頃、とある休日に私は普段余り出向かない隣町のTSUTAYAへと足を運びました、私が住んでいた近所にもTSUTAYAは1軒存在していたのですが、埼玉の小さい街という土地柄のせいもあってか品揃えが悪く、私が聴きたい所謂「コア」なアーティストのアルバムが全く置かれていなかったのです。しかし、隣町のTSUTAYAも同じく埼玉ではあるものの、町自体が広く栄えていたため品揃えが豊富であり、それを知ってからはお金が貯まったタイミングを見計らってちょくちょく足を運ぶようになりました(定期圏外だったので頻繁には行けなかったのです)。そして、そのTSUTAYAで私はとある衝撃的な作品と出会う事となるのです。それは…

いとうせいこう「MESS/AGE」
「いとうせいこう」という名前を目にした際、私は「いとうせいこう…って、昔NHK教育のテレビに出ていたあのお惚けたオジサンだよな…? そんな人のアルバムがなぜTSUTAYAのヒップホップコーナーに置かれているんだ…?」と頭の中でハテナマークが沢山駆け巡ったのを今でもハッキリ覚えています。しかし、CDジャケットに描かれた不気味に微笑む土星を見て強烈な好奇心を抱いてしまった私は、気がつくとこのアルバム「MESS/AGE」をまるで吸い寄せられるかのように籠の中へとinしていたのです。
帰宅後、私はすぐに自宅PCへ借りてきたアルバムを全て取り込み、その場で視聴しました。そこで「MESS/AGE」を初めて聴いた時の私の感想は「あの時、天才ビットくんで人畜無害そうな顔をして一生懸命司会をしていた人が、物凄くキレッキレなラップをしている…?!」という驚きのみでした。その当時に視聴した時が確か2010〜2011年頃だったので、1989年にリリースされたこのアルバムで披露されているラップのスタイルは勿論「新しくは」無かったのですが、日本にラップやヒップホップという文化が全く根付いていなかった時代にこの方法論を導き出して実践していたのかと考えると「途轍もなく先鋭的な事をやっていたのだな」と素直に感嘆してしまいました。このアルバムはどれも名曲揃いなのですが、その中でも特に私が好きな楽曲「噂だけの世紀末」を紹介致します。
※楽曲「噂だけの世紀末」は10:34頃から流れます。
この動画は1990年に放送されたNHKスペシャルの模様であり、今後の未来の行く末を暗示するかのようなメッセージも発信されているのですが、この放送から35年以上経過した現在はまさしく「噂だけの世紀末」と化しているとしか思えない惨状です。テクノロジーはどんどん発達するのに、それに上手く乗りこなせない、乗りこなそうとしない愚かな人間たち。人伝に聴いた噂で馬鹿の一つ覚えみたいに盛り上がり、その事に疑問すら抱こうともしない。 ー日本にまだ根付いていなかった「ラップ」という方法で逸早くその事を取り上げていた、せいこう氏の先見の明は流石としか言い様がありません。
このアルバムをきっかけにせいこう氏へ興味を抱いた私は、せいこう氏に関する様々な事を調べていく事となりました。そしてこの段階でせいこう氏が「1980年代、日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめ、本格的にラップ・ミュージックで表現したアーティストの一人」である事を本格的に知った私は妙に嬉しくなった事を今でもはっきりと覚えています。というのも当時の私は「不良でもやんちゃでも無いのにも関わらずヒップホップが好き」というジレンマを少なからず抱えていたため、「そんな奴が聴いても良いのだろうか」と悶々とした日々を過ごしていました。しかし、日本で本格的にラップという手法を表現した方が、所謂「不良」などのアウトロー気質を全く感じさせないせいこう氏だったという事実は自分にとっては非常に救いであり、「ああ、それじゃ俺も好きに聴いて良いんだな」と内心安心する事が出来たのです。そういった意味でもせいこう氏は私にとっては非常に恩人であり、それ以降更にラップ・ヒップホップが好きになるきっかけを作ってくれた方でもありました。
そして大学時代、私の人生において忘れられない楽曲と出会う事となります。それがロロロ(クチロロ)の「ヒップホップの初期衝動」でした。
いやぁ〜…素晴らしい。大学時代にこのPVをYouTubeで初めて発見した時は大層感動したものです。多分これまでの人生においてもう何度も何度もリピート再生しているのでは無いのでしょうか。当時、どこか人伝に「ロロロというバンドにどうやらいとうせいこうが加入しているらしい」と聴いた私は即座にYouTubeでロロロを検索し、真っ先に辿り着いたのがこの楽曲でした。何かを好きになった時、大概の人はそれを死ぬまで追いかけるのでしょうが、それに出会った際の「初期衝動」については、文字通り何度も味わえるものではありません。しかし、この曲は聴く度にその「初期衝動」を思い出さしてくれる側面があるので初心に帰りたい時に今も聴くようにしています。それぐらい思い出深く、印象に残っている曲なのであります。
余談ですが、大学1年生時に私が演劇部へ入部した際に、現在も繋がりのある演劇人の公社流体力学と出会うのですが、新入生歓迎会の際に自分が「ロロロってバンドが好きなんだよねぇ」と話すと「え、ロロロ知ってるの? 俺も好きなんだけど」と返され、そこから急激に仲が深まり大学卒業してから10年以上も関係が継続する仲となりました。そういった思い出も含めて、自分の人生においては欠かせない1曲となっています。
せいこう氏に関してはもっと紹介したいアルバムや曲は山程あるのですが、これ以上紹介すると想定以上に記事が長くなってしまうのでここらで一旦ストップしておきます。「建設的」や「業界くん物語」など名作は沢山あるんですけどね…。もしお時間ありましたら皆様digしてみて下さい。
いとうせいこう氏に初めてパフォーマンスを見せた日(黒歴史!!)


せいこう氏本人は絶対に覚えていないに違いないのですが、実は5年前に私はとあるイベントでせいこう氏の前で詩の朗読を披露した事がありました。そのイベントとは胎動LABELが主催した「SHIBUYAオープンマイク」(2021年3月28日開催)の事です。このイベントは動画審査で選ばれた、あらゆるアーティスト・パフォーマーや通りすがりの一般人が渋谷の「東京カルチャーカルチャー」に集結し、部門毎にステージ上で各々パフォーマンスを披露していくという内容でした。部門は2つに分けられており、1つは賞レース部門である「SHIBUYAグランドスラム」、もう1つは自由参加部門である「想いをマイクに!」であり、せいこう氏はそれらの審査員という立場で参加されていました。そして私は動画審査の結果「想いをマイクに!」の参加権を得る事が出来たという訳です。なお、その時の私は「ハルタダイチ」ではなく「おに熊」という名義で活動しており、同イベントもその名義で参加しておりました。


SHIBUYAオープンマイクにて詩を朗読する「おに熊」時代の私。
当時の私は非常に病んでいて頭がおかしく(まあそれは多少なり今もなんですけど)、何故か「赤いズボン」を履く事に関して異常な程の拘りを貫いており、しかもこの「SHIBUYAオープンマイク」に参加する際は、ご覧の通りその赤いズボンと併せて「赤と白のストライプの長袖」も着用していたため、半ば「ウォーリーを探せ!」の「ウォーリー」みたいな風貌で参戦するという、冷静になって振り返れば猛烈な不審者としか思えない格好で挑んでいました(言い訳させて頂きますと、当時の私は「自分のアイデンティティをどうやって出そうか」という事に関して激しく頭を悩ませており、そこで行き着いた答えが何故か「赤いズボンを日々履き続ける」という意味不明な着地点だったのです)。
ちょっと話が逸れましたが、それでも憧れのせいこう氏にパフォーマンスを見て貰えると意気込んだ私は、当日のオープンマイクでは先ほどの章でも記載した「学生時代、友達もおらず、何も良い事がなくTSUTAYAに入り浸るしか無かった日々」を回想した「拝啓、TSUTAYA様」という詩を朗読しました。その時の手応えはというと…余り無かったというのが正直な感想です。また、先ほど「せいこう氏の前でパフォーマンスを披露した」とは書いたのですが、厳密に言うと当時は所謂「コロナ禍」であったため、実はせいこう氏は直接現場にはおらずリモートで参加していました。足を震わせ、頭が真っ白になりながらも全力で読み終えた私でしたが、極度の緊張からか画面に映し出されるせいこう氏の表情をまともに見る事は出来ませんでした。ただ、その後ikomaさんから「せいこうさんも聞きながら深く頷いてくれてたからきっと届いたと思うよ」とフォローを頂けたのが唯一の救いでした。リアルタイムでは苦い時間でしたが、今となっては良い思い出であり、良い経験でもありました。
あ、この章で記した内容は惑う事なき黒歴史ですので、皆様是非とも笑ってやって下さい。

最後の出演者総出での記念撮影の様子。司会を務めた猫道さんの右斜め後ろにいるのが私。
いとうせいこう is the poetとのセッション〜そして、せいこう氏との念願の対話
その後はポエトリーの界隈に入り浸り、紆余曲折ありつつ、酸いも甘いも経験してきました(この事については書き始めるとマジで長くなるのでほぼ割愛します)。自主企画や果詩合の開催、詩集の発売、アルバムの発表…etc。本当に色々な事がありました。それらの活動を経て参加したのが、この「いとうせいこう is the poet 〜LIVE POETRY JAM〜」でした。せいこう氏に対しては元々ラッパーとしての側面が好きだったのですが、私が本格的に詩作及び朗読を始めるようになってからは「詩人」としての側面にも興味を抱くようになりました。その中でも私が好きな詩である「怒り」を紹介します。
人間が生活していく上で沸々と湧き上がる「怒り」という衝動を、決してマイナスではなくプラスとして捉えているこの詩は、3分に満たない短さでありながらも非常にクオリティが高く、とても聞き応えのある作品として仕上がっています。
ポエトリーの活動を長きに渡って行っていると、「いとうせいこう氏と直接お会いしてお話をする」という事は、次第に大きな目標として掲げるようになりました。そしてこのチャンスを逃すと次はいつになるのかわからないという思いから、今回思い切って参加を決断致しました。
当日のオープンマイクは出番前にステージ横で待機していたのですが、緊張と期待が入り混じり終始落ち着きがありませんでした。そして自分の名前が呼ばれ、ステージに立つと「とにかく楽しむこと」に全振りしようと決意して、パフォーマンスに挑みました。その時の様子が以下の動画となります。
撮影及び動画提供:佐藤yuupopicさん
率直な感想を述べると…本当に楽しかった! そして疲れた! 勿論緊張もした!!! これらに尽きます。この時に披露した「吠える毒、疼く夜」は元々私が2024年にリリースしたアルバム「紅顔白骨」に収録されているゆったりめな曲なのですが、セッションの際はis the poetの皆様の演奏のおかげで非常にアップテンポな曲へと変貌を遂げ、見事なまでのgrooveが産み出されていました。私も皆様の演奏に負けじと必死になって食らいつて言葉を吐き出し続けた結果、パフォーマンスを終える頃は精魂尽き果てていました。とにかく最低限私なりに、皆様の本気の演奏に応える事が出来たかなと思っております(改めて動画を見返すと稚拙な部分も浮き彫りになっていて恥ずかしさもありますが)。出番直後にさいとういんこさんやtotoさんから褒められたのも嬉しかったですねぇ…。本当に良い経験をさせて頂きました。ありがとうございました。

最後の「いとうせいこう is the poet」のLIVEも大変素晴らしかったです。「ポエトリーリーディング」及び「朗読」というジャンルをしっかりと「Performing Arts」として昇華しているその姿勢には背筋が伸びる思いでした。特に最後に披露された「バディ」は元々小泉今日子さんへの提供曲であるので、せいこう氏のリーディングver.はかなり貴重でございました。終始楽しませて頂きました。
そしてイベント終了後、勇気を持ってアタックし…見事せいこう氏との対話が叶いました。私は緊張しながらも、先ほど披露した演目はアルバムに収録されている楽曲の1つであり、そのアルバムも配信されているという事、更に果詩合という大会の主催をしている事を無事伝える事が出来ました。アルバムについては「これ作るの大変だったでしょ?」と労って下さり、果詩合に関しては「果詩合ね。わかった、チェックしてみるよ(みたいな言葉だったかもしれない、緊張していて実は細かな所までは記憶が定かではない)」と言って下さりました。時間で換算すると、本当1分あるかないかのやり取りでしたが、大変感無量でございました…。
2026年6月25日。この日に至るまで良い事ばかりだけではなく、本当辛い事も沢山ありましたが、それらがだいぶ報われた1日でした。これを励みにまた色々と頑張ります。「いとうせいこう is the poet 〜LIVE POETRY JAM〜」に関わって下さった皆様に改めて感謝の気持ちをお伝えします。誠にありがとうございました。

※これはイベント終了後に出演者総出で皆様が写真撮影をしようとしていて、私がその際に会場を後にしようとした所、せいこう氏が気を利かして「入りなよ!」と声をかけて下さった事で加わる事が出来ました。このメンバーに囲まれて記念写真を撮影できた事は光栄でした。ありがとうございました。

